雑記帳
【日記】 友人との横浜散策と最近の変化のこと【2025/11/15】
この記事を書くかどうか悩んだけど、どっちつかずのまま物事を曖昧にしておきたくないし、けじめをつけるためにも書き記すことにする。
考えない日がないくらい好きだったのだけど、やっぱり一番身近な人間関係の影響を受けないことは普通難しいよな。
というのも、恐らくそういった周りの影響を受けているのだなというのが窺えるような「僕の理解できない世界」の話を耳にすることが多くなってきた。(それなりに長い付き合いだからそう直感で思うのかもしれないけど、「自分の言葉」として話しているのではなく「他の誰かからの言葉」をそのまま言わされている印象を受けることが増えてきた。でも思考の誘導とか攻撃とかされても頑なに自分を貫く人だったらレールに乗り続けられないし、そこは個々人の生き方に関わる領域の話だから僕としても無責任に立ち入れない。何より、彼自身が今の自分に満足しているという言葉をもらってしまったから。)
そしてそれに伴って、そういった話を投げかけてくるということは僕が昔伝えた最も根幹の部分を今は軽く思ってしまっていたりするのかなという思いをすることや、逆にそういった理解の及ばない話に対する即興的な僕の反応がどうしても軽くなってしまい後から申し訳ない気持ちが湧いてくることとかがちらほら出てきた。
また僕は微塵もそんなこと思っていないのに、過去の旅の中での彼自身の行動を自ら否定する話とかもするようになって、もしかして周りの人間が持つ価値観と僕が持つ価値観とを重ねてしまっているかなとかも。(以前も似たようなことがあって、その時には僕の本当の気持ちを伝えていたはずなんだけど、その時の僕の声も簡単に上書かれてしまうくらい、彼の一番物理的にも身近な人たちの声の影響は彼にとって大きいのだろうな。なんというか出会った頃にあった人間的な温かさが薄れてしまって色々な意味で平均的となった印象を受けてしまう。でもそれって人間社会の中で競い合うことを選ぶのであればきっと避けて通れなかった道なんだとも思っているし、これが社会が求める理想的な在り方だったのかなって。)
最近とある相手のことを考えていることが多くなった。
この日の横浜散策を終えた解散際に僕に言葉でも伝えてくれたように今でも僕を親しい友人として思ってくれていることは嬉しいし、僕も好きな気持ちがあるから会いに行くのだけど、そうやって今までなかったことが現に起きているということからも、気付かない内にこれまでの「他の誰かに現を抜かす余裕がないくらい好き」という状態が揺れ動かされていたことは否めない。
加えて今回帰宅後のメールでのやりとりを介して、これまで僕の中で曖昧だった点の理解・整理がついたことも大きな転換点となってしまった気がする。
端的に言えば、僕の頭を別の男性の存在が占有するようになってしまっている。
この日よりも少し前に気になってしまう相手との出会いがあった。そして「他の誰かに現を抜かすことへのブレーキ」がまだ健在だった中でありながらも気になってしまっていたくらいだから、その一件で気持ちに揺らぎができた時に、その燻っていた気持ちがどうなってしまうのか。
…という風に色々と御託を並べてみても、新たな相手に思い焦がれている自分の現状を必死に正当化しているようにしか見えないのだろうな。
それにでも、現状の気持ちの持っていかれ方を考えると、今回の一件の有無に依らず、同じ現象が起きていたかもしれないって考えてしまうくらい、どうしてかよくわからないけど今の僕にとってその人の存在があまりにも大きいんだよね。
結局誰かに興味を持つときって最初も直感なら、そうなっていたことを自覚する瞬間は明確にあったとしても、具体的にどれがきっかけでいつ頃から本格的に意識するようになってしまったのかなんて自分自身もよくわかってないし、そういった後付けの理由のこじ付け自体も不毛な行為なんだろうな。
友人からは以前、他に出かける相手を作らないのかみたいな話を聞かれていたくらいだし、僕が変に深刻に捉え過ぎているだけなのかな。(僕にも良い出会いがあるといいなと仄めかすメールを送った時も、軽く流されたわけだし)
ということで長々とポエムを書いたけど、詰まるところ「こんな時が僕に来るなんて数カ月前の僕は思いもしなかったけど、強い興味を持ってしまった人が遂に僕にできてしまった。そして今の僕はどっちつかずの状態ではなく真剣にその彼のことを知りたいし、いつか仲良くなれたらなって思っている。」ということであります。
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